久しぶりの松山のコンサートの翌日
東京に戻る前に松山を探検しました。
まずは道後温泉のそばにある
伊佐爾波神社に行く。
ここは仲哀天皇と神功皇后が道後温泉に
やってきた記念に建てられた神社
だと言う。この天皇ご夫婦は八幡神社の
総帥である応神天皇(八幡様)のご両親だ。
九州の熊襲征伐に向かった お二人は
ある日神様にお伺いを立てた。
そしたら神様は海を渡った国に豊かな
土地があるからそっちを手に入れた方が
いいのではないかと 朝鮮半島に行くことを
告げたのだが、 仲哀天皇は 予定通り
クマソを攻めようと言い、 神様の
アドバイスを無視した。
そしたら 仲哀天皇は謎の死を迎えた。
やっぱり神様の言うことを聞かなかった
からだわと 奥さんの神功皇后は
お腹に応神天皇を 身ごもったまま
朝鮮に出兵したのだった。
そして韓国を平定したことになっているの
だが 今はちょっとそれは怪しいなぁ・・・
となっている。
古代、神様からアドバイスを受けてそれを
伝える役割の人を「サニワ」と言った。
伊佐爾波神社と審神者(サニワ) ?
私は早速ウィキペディアを開いた。
ウィキペディアにはこうあった。
「さにわ」とは、古代の神道の祭祀に
おいて神託を受け、神意を解釈して
伝える者のことである。
古事記の仲哀天皇の段に、天皇が琴を弾き、
武内宿禰が沙庭(さにわ)に居て
神の命を請うたという記述がある。
ここで沙庭は場所の意味であるが、
武内宿禰が審神者を務めたということになる。
その後の記述では、神が 神功皇后に乗り移り、
神託を述べたとあり祭神の一柱として
神功皇后を祀る愛媛県松山市の
伊佐爾波神社では社名の由来とされている。
・・・と、 書いてあった。
奥さんの神功皇后の中に 神が降りて
700歳生きて10人ほどの天皇に支えた
謎の人物「武内宿禰」がサニワだった。
この神社は ご夫婦で道後温泉に来て
まったりとお湯につかった言うより、
ここは 古代、神降ろしをした神聖な
場所と言うことになる。
面白い!
となれば、サニワ本人である武内宿禰の
存在がこの神社になければならない。
境内や回廊をキョロキョロしていると
やっぱり見つかった。武内宿禰命を
お祀りする「高良玉垂社」があった。
「こうらたまたれしゃ」
九州の久留米でPA担当のターザンに
「謎の神様がいるんですよ」と案内された
「高良玉垂社が 四国にもあっんだね。
高良玉垂命の正体について、ネットで
検索すると 最初に出てくるのが。
武内宿禰なのだ。
仲哀天皇神と 神功皇后と
応神天皇と武内宿禰が
四国の松山と深い関係があったとはね。